2018年3月4日日曜日

『クロエの祈り』

ガサ地区の次は、
イスラエルとパレスチナを行き来する映画、

『クロエの祈り』(2012)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=51dixEewdSo

フランスーケベック映画であるこの作品、
原題は Inch'Allah (インシャラー)。
つまり「神がそれを望むなら」です。
このタイトルで見るのと、
邦題のつもりで見るのとでは、
映画のニュアンスは大きく異なります。
「インシャラー」というのはアラビア語で、
つまり視点はパレスチナ側にあることになるからです。
(映画のラストの視点も、確かにそうです。)
でも、今回に限っては、
邦題にも一理あるように思います。
というのは……

カナダ人の女性医師であるクロエは、
人道支援の立場から、
パレスチナの病院で働いています。
ただ、彼女が暮らしているのはイスラエル側であり、
つまり毎日、
パレスチナとイスラエルを行き来しているのです。
そんな彼女は、
出産間近いアラブ女性、ランドと友達になり、
彼女の家にも遊びに行き、
家族とも仲良くなります。
また彼女は、
同じアパートに住む若い女性、アバとも親しくなります。
アバは、兵役中で、
検問所で働いています。
つまり、パレスチナ、イスラエル、カナダ、
この3国(というか地域)に属する女性たちと、
その関係の物語だということです。
で、
3地域を見ればすぐわかる通り、
この関係の中でクロエだけが、
すべての地域に現れます。
(厳密には、ランドが2度、イスラエルの地を踏むのですが。)
つまりクロエは振り子のように、
こちらからあちら、あちらからこちらへ揺れ、
しかも、どちらに行っても、
結局のところ「よそもの」なのです。
(クロエが働く病院には、
フランス人(カナダ人?)医師がいるのですが、
彼はあるとき、クロエに対し、
君はパレスチナに深入りしすぎだ、
と諭す場面があります。
他者に思い入れをするものとして、
クロエは自分の文化的ホームランドからも離れてゆくのです。)

個々のエピソードも、
全体の構成もいいと思うのですが、
やはり最大の欠点は、
この映画が『クロエの祈り』になっていて、
『インシャラー』という題と釣り合っていないことです。
実際映画内では、
クロエのクロースアップがかなり頻繁に現れ、
彼女の内面に迫ることを観客に求めてきます。が、
実は、圧倒的に存在感があるのは、
明らかに妊婦であるランドなのです。

そして驚きだったのが、
このランドを演じていたのが、
Sabrina Ouazani だったこと。
彼女は、ここでも何度か触れましたが、
一番印象に残っているのは、これです。
主人公の恋人である、婦人警官の役でした。

http://tomo-524.blogspot.jp/2015/09/mohamed-dubois.html

また、ここでも重要な役でした。

http://tomo-524.blogspot.jp/2016/05/blog-post_39.html

パリ郊外風のフランス語がうまい彼女ですが、
『クロエの祈り』では、一言もフランス語を発することなく、
たくましく、強く、生き生きした女性を演じています。
そしてこのたくましさそのものが、
一つの伏線でもあるのです。

こうして書いてみて、
やっぱり、映画としてやや破綻している気がしてきました。
この映画が示すことになるメッセージも、
危ういと感じます。
あえて厳しく言えば、失敗作でしょう。
(どうでもいい映画、という意味ではありません。
失敗なのです。)

ちなみにプロヂューサーは、
『灼熱の魂』やぼくたちのムッシュ・ラザールを手掛けた、
リュック・デリとキム・マクローです。
2人ともケベック人です。